パニックアワー

パニック障害になったボクの考えごと

先生が怖くて不登校になりました その2

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僕は小学5年生の秋から不登校になりました。

前回はこの記事です。

 

panimaru1917.hatenablog.com

 

 

 

目次

 

 

 

 

不登校生活が始まった

 

学校に行かなくなって

自宅というシェルターに閉じこもっていても

心が休まることはありませんでした。

 

学校という怖い場所に行かなくても

自分で自分を責めることは続きます。

 

 

「普通」でなくなった自分。

みんなができていることが自分にはできない。

 

 

よく怒るあの先生が怖いのは自分だけ。

怖いと思っている子もいるかもしれないけど

みんなは毎日学校に通っている。

 

 

自分は学校に行けなくなってしまった。

 

 

先生は悪くない。

悪いのは弱い自分。

 

 

情けない。

 

 

どんどん無くなっていく自分の価値。

そもそも低かった自信は

もう完全に消えてしまいました。

 

 

 

先生の家庭訪問

 

学校に行かない日が続けば

心配した先生が家までやってきます。

 

心配…。

実際のところどんな感情かは分かりません。

 

 

「チッ、めんどくせーな」と思っているかもしれません。

それはそう思われても仕方ありません。

 

 

先生という日常の忙しい仕事に加えて

一日の終わりにわざわざ生徒の家を訪ねるのですから。

大変だったに違いありません。

 

 

今も先生には申し訳ないことをしたという

罪悪感が浮かんできます。

 

 

それでも当時は先生が自宅に来るということに対しては

恐怖心が強かったです。

 

 

不登校が続いて

夕方か夜に先生の自宅訪問は増えていきました。

 

家でどんなことを話したのでしょう。

実は思い出そうとしてもあまり思い出せません。

 

 

「みんな待ってるから学校においで」とか

「今日はこんな勉強をしましたよ」とか

 

きっとそんな話をして帰っていったのでしょう。

 

 

僕はというと

先生が自宅に来ることに怯え始めました。

 

 

先生が怖くて学校に行けなくなったのに

その先生に家まで来られることは

シェルターをこじ開けられていることと変わりありません。

 

 

夕方、そろそろ学校が終わる時間だと思うと

「今日は来ないで」

「今日は来ませんように」

それを強く願うような毎日になりました。

 

 

先生が来ると「ピンポン」の音ですぐに分かるようになりました。

玄関チャイムの押し方に特徴があったのです。

 

 

普通が「ピンポン」なら

あの先生は「ピポン!」という感じです。

勢いよく、そして早い。

 

 

その音を聞いて「ビクッ」となり

また恐怖感を持ちながら先生と対峙するのです。

 

 

 

 

クラスメートが家に来たこともありました。

「学校においで」と。

 

3人ほど先生の車で家まで来て

学校に行けない僕を誘うのです。

 

「うん…ごめんね…」

そう答えて帰ってもらいましたが

あのときの恥ずかしさ、情けなさは今でも忘れられません。

 

 

先生も僕を学校に再び通わせようと

あれこれ努力してくれたのです。

 

効果的だったとは言えませんが…。

(むしろ傷ついた)

 

先生

 

 

 

不登校の子どもに家族もあれこれ苦心する

 

学校を休むことをひどく怒っていた父でしたが

不登校状態に浸かってしまってからは

あまりガミガミ言うことは減りました。

 

 

釣りだの山だの

何とかして僕を外へ連れ出そうとしてくれました。

ほぼ無理やりなのでそのたびにイヤだと思っていたけど…。

ありがたいと思わなければいけないことだったんだよね。

 

 

親の心子知らず

子の心親知らず

 

でしたね。

 

 

 

母にはカウンセラーに連れていかれました。

 

フリースクールのようなところも行きました。

ここに行けば学校の出席日数にもなります、という場所でした。

 

心が楽になったという記憶もあまりないです。

 

 

とにかくあの頃は自分がイヤでイヤでたまらなかった。

(今もか)

 

 

学校に行かなくてもいい。

という考えにはならなかったのだと思います。

 

 

行かなきゃいけない場所に

行けなくなった自分が存在しているだけ。

 

 

ガリガリ削られていく自尊心。

 

 

 

 

1年半ほどの不登校生活(小学校編)は終わる

 

 

そんな生活が小学5年生の秋から始まり

6年生になってもクラス替えもないので

小学校を卒業するまで続きました。

 

 

 

この間に2回だけ学校に行った行事があります。

 

 

修学旅行と卒業式だけは参加しました。

 

 

今から考えても「よく行けたな」と驚くのですが

行きたいと自分で思った記憶はないので

 

おそらく強く誘われたことと自分の罪悪感が合わさって

逃げられなかったのではないでしょうか。

 

それでも結果として

行動できた自分はほめてあげたいと思います。

 

 

 

 

そんなこんなで小学校時代は過ぎ去ります。

学生にはいつか終わりが来るのです。

 

 

そして中学校へ。

通い始めるようになるけど…。

 

 

 

そしてどうなる…?

 

ここからは前回も書いたことをそのまま書いてます。

 

 

このあとの自分史をサラッと書いておきますね。

(また今回のようにしっかり書ければいいとは思ってますが)

 

中学校もほぼ不登校

高校は通信制

大検を受けて大学に進学。

 

大学も卒業して

一応みんなと同じルートに戻りかけたんだけど、

現状、ひきこもり。

 

学校に行けなくても

なんとかなってるから大丈夫だよ、って

言ってあげられるようになりたいんだけどね。

 

 

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